暗黙知シリーズ。ブックマークレットという言葉自体がもはや死語なんじゃないかという気もするけど。
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年末。KOBA789 です。
本年もおもしろいことがたくさんあったのですが、しかしそれらはまだ書けないことばかりなので、今回はちょっと薄めでお送りします。
2024はこちら: diary.hatenablog.jp
2024年末の南米出張の疲れを引きずったまま年を越したのを覚えています。出張がなかったとしてもこの次期は毎年調子が悪く、なんならまさに今も同様の状態であります。
元日。千葉県のいすみ市の海岸まで初日の出を見に行きました。はじめは太東崎灯台で見るつもりだったのですが人が多すぎて車を駐められず断念。アドリブで近くのよさそうな場所を発見し、そこで夜明けを待ちました。Starlink を車のルーフに乗っけて初日の出の様子を配信していたら、毎年見に来ているという常連グループに声をかけられました。近くにキャンプ場があり、そこでキャンプしてから来るのが恒例とのこと。冬キャンプは憧れですが、夏と比べて明確にリスクがあって重装備を要求されるのでなかなかハードルが高いです。いつか真似してみたい。

2月。高校の同級生と福井・敦賀へ。福井・敦賀は仕事で何度か行っているのですが、仕事先と駅の往復ばかりでロクに観光したことはありませんでした。融雪パイプに水を浴びせられ、宿に着く前に靴をずぶ濡れにして冬の北陸の洗礼を受けたりしつつ、飯と日本酒に舌鼓を打ったり敦賀の車山の迫力にひっくり返ったりしていたらあっという間の三日間でした。

3月。小学校の同級生と高尾山へ。年齢3倍記念で集まろうぜということで行ってきました。3倍て。コースにもよるのでしょうが微妙な勾配がずっと続くので意外と足がつらい。標高は大したことないけど個人的には割としんどかった記憶があります。足首が固いので坂が苦手なんですよね。
この頃から仕事が大変なことに(おもしろいことに)なり始めました。南米に行ったりしていた2024は基底ベクトルが違うとか内積が小さいみたいな方向性のおもしろさでしたが、2025は難易度の高いエンジニアリングを要求され、普通に絶対値がデカいタイプのおもしろさでした。ソフトウェアが得意すぎるので未だにソフトウェアエンジニアを名乗っていますが、それ以外もやっています。
4月末。急に友人が日本海を見たいというので山形・秋田に行きました。曰く、好きな作家さんの描く海がいつも具合悪そうな色をしていて不思議であるから、その作家さんの地元の海を実際に見てみたいとのことでした。ちなみにその友人は瀬戸内出身です。
例によってまったくのノープランのまま車を転がし、朝からやってる日帰り温泉に浸かったあと道の駅で情報収集という定番のルーチンを実行しました。肝心の海はというと、これぞ日本海側という天気に恵まれたこともあってか、想像通りのちょっとおっかない空気を醸していました。冬だともっとすごいんですけどね。帰り際、瀬戸内はめちゃくちゃ凪いでて別物だから見に来いと言われ、そして本当に行くことになります。

もはや恒例行事ですが、自走で北海道に行きました。いつも行きはシルバープリンセスを使うのですが、今年は仕事の時間の都合でシルバーティアラになりました。帰りは函館に寄りたかったため、青函フェリーです。仕事の合間を縫ったパツパツのスケジュールだったため、札幌でビール飲んでラーメン食ってスープカレー食って、函館でやきとり(豚)食って終わりです。ラッピも食べたかったんですが移動が間に合わず。

この頃、どうにも疲れが取れないのはベッドが狭いせいではないかと思い至り、10年使ったベッドに別れを告げることにしました。人生の時間の10%くらいはこのベッドの上で寝ていた計算になります。どうせならということで奮発し、シモンズの結構いいセミダブルベッドを導入しました。これで明らかに身体の調子がよくなり、このあとの繁忙期を支えてくれることになります。
8月末。うどんを食うためだけに香川に行きました。当然自走です。またしたがって、見に来いと言われた瀬戸内を見ることにもなりました。うどんが美味しかったのは当然として、高松の山が本当に全部ガウシアンで車窓から見える度にずっとゲラゲラ笑っていたのを覚えています。運転中だったので写真はないんですが、気になる人は「高松 山」で検索してください。

仕事しかしていない!
本当にいつの間にか年の瀬になっていました。これらの仕事の話ができるのはいつになるだろうか。時間を忘れるくらいにはおもしろいことをやっていたので、いつか話せるといいですね。
仕事に集中していました、と表現するのがとても適切な1年だったように思います。やるべきこととできることがビタッと重なるというのは幸せなことで、自分が今まさに歴史を紡いでいるのだという充実感があります。自分の舵取りが与える影響の大きさに足がすくむこともありますが、リスクを語って通ぶるのはフェイクであり、できるまでやって押し切るのがリアルなのだと言い聞かせて前に進んでいます。この緊張感は来年も続きそうです。
一方でプライベートの進展は1ミリもなく、Is KOBA789 still single? は依然として Yes のままです。そろそろ独身貴族も満喫し尽くしたかなぁという頃合いなので、来年は意識的にリソースを割いていこうと思います。
2026年の KOBA789 にもご期待ください。
そういうコマンドがあるわけではありません。
以下のような git alias を .gitconfig に設定すると git aicommit で Claude にコミットメッセージを書かせられるというだけです。
[alias]
aicommit = "!f() { COMMITMSG=$(claude -p 'Generate ONLY a one-line Git commit message in English, using imperative mood, summarizing what was changed and why, based strictly on the contents of `git diff --cached`. Do not add explanation or a body. Output only the commit summary line.'); git commit -m \"$COMMITMSG\" -e; }; f"
Claude が考えたメッセージが入った状態でエディタが上がってくるので、人間が加筆とか修正とかしてコミットするといいと思います。
まずはじめに、あまり有益なことが書いてある種類の文章ではない。時間が惜しい境遇の人はこれを読むのを後回しにすべきだろう。書きたくて書いており、読ませるためには書いていない。
タイトルに Vibe Coding ないしは AI っぽい語句を並べた記事を書くこと自体に若干の抵抗感というか、後ろめたさというか、欲に抗えない自分への自己嫌悪感のようなものがあるのだが、まぁでもみなさんもタイトルに釣られて記事を開いたでしょ、ということでバーボン。
今回は、Vibe Coding で生産性が上がったとかできることが増えたとか、効率化のためにやっていることは何かとか、そういう話ではない。やっていることは特に変わりないのだが、Coding Agent という道具と向き合うことで既にあるものの捉え方が変わった、そういう話をしたい。実際のところ、私はあまり Coding Agent を活用できていない。仕事では多少使わないともはや職務怠慢だなと思って利用を試みているが、趣味では Copilot による補完すら使わないことも多いくらいである。
さて、Coding Agent によってソフトウェア開発の比較的簡単なタスクは既に人間のものではなくなり、ジュニアエンジニアがステップアップするための仕事が奪われる、あるいは既に奪われているのではないかと考えたことがある。当時はそれを単に悲観的に捉えていて、これからのソフトウェアエンジニアの成長機会はいったいどこからやってくるのだろうと未来を憂えていた。
私は新卒で入った会社で(もう8年も前か……)様々なコードに出会った。当時自分に飯を食わせてくれていた*1コードを悪く言いたくはないのだが、まぁいろんな背景と経緯を持ち、その時点で見ればまったく適切でないような、そういったコードに溢れていた。しかしそれらは新人の私にとっては悪いことばかりではなく、どういったコードを書くと何が起こるのかという因果を否が応でも知らしめてくれるよい教材であった。自分で書かずとも因果のカタログがそこにある、価値はつまりそこである。
ひとりだけで書いていると、因果のパターンをそう多くは学べない。書き手がひとりだとパターンが偏るからというのもあるが、いかんせん足りていないのは試行回数の方である。ひとりでできる試行回数はたかが知れているし、そもそもジュニアなエンジニアのコーディング速度は十分に遅いのである。新卒当時で既にプログラミング歴自体は20年弱ほどあった私であるが、そういった事情でソフトウェア設計に活かせるほどの見識はまるでなかった。設計と聞いてあのタマネギのような図に行き当たることしかできないくらいの、そういう未熟さである(これは比喩だけど)。
ところで LLM のコーディング速度は極めて速い。最終的な成果物にたどり着くまでの時間でいえば私の人力とまだ大差無いという負け惜しみはありつつ、生成1回あたりの時間はとても短い。一方である程度の試行錯誤が必要であり、一発で完璧な生成物が出てくることは稀である。2025年現在、どうにかこの往復回数を減らし、ターンキーで最終成果物が得られるようにと多くの人類が四苦八苦している。しかし翻ってみるとこれはよいことである。プロンプトという「因」を与え、極めて高速に中途半端な「果」が得られる。これこそがジュニアエンジニアの成長に寄与するものであり、post-LLM era の学習方法に他ならない。ふと客観的に見てみるとあまり特別なことは言っていない。既に現代のジュニアエンジニアはそのようにしてソフトウェア設計に活かせる見識を(自覚の有無に関わらず)ジワジワ溜めているのだろう。単に AI に疎い旧世代の人間が遠回りをして当たり前の見方に到達しただけである。読者の時間を浪費できて私は嬉しい。
みなさんの予想に反して(?)私は新しいモノへの適応が遅い方であるので、Coding Agent についても時間をかけてゆっくり適応していくのだと思う。思い返してみると、私が素の JavaScript を捨てて TypeScript に乗り換えたのは TypeScript 2.0 がリリースされてからのことだった。そのときついでにメインのエディタも VS Code に乗り換えたのだが、それまでは Emacs をメインで使っていた。Emacs と js2-mode を使えば十分に JavaScript を書けていた、あるいは書けていると勘違いしていた。TypeScript に乗り換えてからはより速くより良いコードが書けるように……というわけでもなく、書くコードの雰囲気が変わった。素の JavaScript を堅牢に書くためにはメタプロを駆使して EDSL を定義し、その EDSL を用いてロジックを小さく書くというのが基本の戦略だった。ロジックをベタでダラダラと書いていると一貫性を保ちづらいので、ある種のルールを enforce するために EDSL を定義してその範囲内で実装するというのが当然のテクニックだったように思う。オレオレフレームワークみたいなものなので初めて読む人にとっては最悪であり、これは主に書く人向けの仕組みである。TypeScript を書くようになってからはそういったことはあまりやらなくなった。EDSL というアイデア自体が無益だというわけではないが、それを型検査の代替とすることは不要になったのである。EDSL には、EDSL の価値がもっとちゃんと活きる使い方がある。
これもまた多くの人が言っており既に苔むした主張であるのだが、Coding Agent によるソフトウェア開発は今までの開発体験の延長線上ではなく、ちょっと別のパラレルワールドの開発体験としての発展をしていると思う。言ってしまえば従来の開発効率の改善手法、抽象化・再利用・なんちゃらかんちゃら、というのは人間がコードを書くことを前提にしたアイデアであって、型検査のない JavaScript で一貫性のあるコードを書くために ESDL を導入することと同様に局所解だった可能性がある。Coding Agent によるソフトウェア開発はその局所解から脱出し、新たな勾配を降る助けになるだろう。
「AI はゲームチェンジャーだから」というエクスキューズにかこつけて、今まで大切だと説いていたことをある日突然ポンと投げ捨てて別のことを言う、そういう都合のいいアンラーンをこれからも続けていきたい。
*1:多くの日本人に飯を食わせていたプロダクトの可能性もある
年末。KOBA789 です。
南米出張から戻ったあとちっとも時差ボケが治らず、自律神経を単振動させていたらもう年が明けそうです。それに限らず本年もさまざまなことがありました。
2023はこちら: diary.hatenablog.jp
1月。2024年は配信2連チャンで幕を開けました。いずれも好評で、というか宮乃やみさんとやらせてもらったRust の所有権とライフタイムを解説する方はやたらと好評で、アーカイブについたコメントの数に驚いたりしました。まったくありがたいことです。結局2024年の YouTuber 活動は年始のこれがピークになってしまいましたが。
仕事の方では、念願のデータ利活用でビジネスすっぞという部が立ち上がり、そこへ異動となりました。私は個人のお金を稼ぐことにあまり興味はありませんが、お金をいただけるような価値を事業で創造するのは、稼いだお金でより大きなことができるようになっていくので大好きです。というわけで、よりビジネス寄りの所属への異動を希望していたのでした。が、そんなにスッと仕事の引き継ぎができるわけもなく、同僚のサポートも得ながら3ヶ月くらいかけて異動した気がします。このとき、某氏の「南米とか興味ある?」という言葉に曖昧に肯定的な返事をしたことが、私の2024年の動向を決定づけることになります。
それまで組込み Rust を書くことが多かった仕事とはうってかわって、異動先ではウェブフロントの TypeScript を書いたり Terraform HCL を書いたりといった感じで技術的にはどこか懐かしさがありました。まぁそれぞれを書く分量の割合が逆転したというだけで、それまで TypeScript を全然書いていなかったわけでも、それ以降組込み Rust を書かなくなったわけでもないんですが。
3月にはスペースワンのカイロス1号の打ち上げ……とは関係なく、打ち上げ予定の前の週に串本に遊びに行きました。単に本州最南端を取りたかったというだけですね。青森やら鹿児島やらで長距離運転に慣れてしまった私としては土日で行くには近すぎました。現地で時間が余り気味になってしまったので、和歌山の内陸側の地図をもう少し読み込んでおくべきだったと後悔しています。本命の本州最南端の碑はあんまり印象に残っていません。交通アクセスが良すぎて最果て感がないこと、近くにバスツアー客向けの寂れた観光施設があって雰囲気が台無し、なども印象の薄さの一助になっていると思います。

そんな旅の帰りに寄った PA で開かれていた、レンタル落ち CD のワゴンセールでレアグルーヴを発見。「水の都の護神」のサントラはプレミアが付いており、1万5千円くらいで取引されています。たしか1万円弱くらいで入手したはず。これに収録されている「謎の少女、再び(迷宮)」がいい曲なんですよねぇ。最南端の碑よりこっちのほうが印象に残ってます。

仕事の方はぼちぼちというか、体制が変わったので引き継ぎやら立ち上げやらであんまり成果らしい成果がなくもどかしい時期でした。でもここに(全然完璧ではないにせよ)時間をかけたからその後の調子がよかったのだ、と思いたい。言い訳かも。
ゴールデンウィーク翌週、ふと砂丘というやつが見たくなり、鳥取に行きました。串本が近すぎた反省を活かし、もし時間が余っても島根まで足を伸ばせば調整できるだろうという算段です。鳥取砂丘は一部ではがっかりスポットとか言われることもあるらしいですが、私にとってはまったくそんなことはなく、一面砂まみれの景色と、大量の砂に足を取られて歩いて丘に登るのも大変という体験はとても新鮮でした。砂丘の見学は太陽がピークアウトする前に追えてしまい、時間が余るかもという私の予感が見事的中したため、スイスポを海岸線に沿って西へ走らせることにしました。

観光地化されているお社にちょくちょく挨拶をして回りつつ、私は出雲大社……の裏手にある日御碕灯台に向かいました。ここから見える夕陽が綺麗だというので、是非この目で拝んでみたいと思っていたのです。水面に沈む陽の光は前評判通り美しく、満足して帰ろうとする私は灯台の駐車場でヒッチハイクを見つけました。その2人組みはちょっといいカメラも持っていた(SONY の PXW とかか?)ので、もしや YouTuber か何かだろうかと思って声を掛けてみると、なんと CBC テレビのロケでした。聞けば地名しりとりという企画で日本中を旅~させられている~しているらしく、日の入りを見に来たら終バスを逃したとのことでした。山の上で終バスを逃した人を麓まで送るのは人生で2度目です*1。麓の駅までの車内ではながつさんとお互いの旅の思い出で大いに盛り上がりました。別れ際に番組のステッカーをいただきました。番組ステッカーっていいですよね。小学生時代におに魂シールに憧れていたからでしょうか。なお、この模様は(ローカルなテレビ局とはいえ)バッチリ地上波と YouTube で放映されたみたいです。
思えば、日御碕までの道中で「因幡の白兎」の神話が有名な白兎神社に立ち寄っていました。縁結びの神様でありますが特段相手というのもいない始末でしたので、もしこの旅で何か愉快な縁があれば、とお祈りをしていたのでした。まさか即日とは思いませんでしたが、本場恐るべし、なのでしょうか。帰りがけにお礼参りをして帰路に就きました。

年初に言っていた南米の話がジワジワ現実味を帯びてきて、というか私を南米に連れて行く準備を周囲が着々と進めてくれていて、あとは黄熱病のワクチンさえ打てば行けるとなってしまったのがこの頃。2023年末の時点では海外で仕事する気なんて更々無く、この時点では海外経験も僅か1回という状態でした。よもや2回目の海外が地球の裏側になろうとは。
こうして日本の夏、南半球の南米では冬(?)に初めて南米に渡ることになりました。わかりやすく南米と書いていますが、「南米」って「アジア」くらいの広さがある言葉なわけで、正確にはパラグアイのアルゼンチン側の国境近くと、ブラジルのベレン、マナウスあたりに行きました*2。この出張の目的は様々で、挨拶回りだったりデータ集めだったり学会参加だったりしました。しかし振り返ってみると、その地に人工衛星の潜在的な需要があると感じられたことが何よりの収穫だったように思います。これは本当に行かないとわからないかも。
さて、その旅路はどうだったのかというと、まず行きの飛行機の機内食で出されたパイナップルで舌の裏を切って英語はおろか日本語すら満足に話せなくなり、ブラジルで泊まったホテルで焚かれていた殺虫剤で鼻水が止まらなくなり持っていったティッシュを使い果たしたりと、しょーもないところで大苦戦を強いられました。ブラジルのドラッグストアで陳列棚に出されていない虫刺されの薬をどうにかこうにかコミュニケーションして買ったのはいい経験だったかもしれません(ブラジルはポルトガル語圏なので町中では英語が通じない)。そんなこんなで不慮の事故によるデバフはありつつも、現地のみなさんには軒並み暖かく迎えていただいて、いずれの土地でも料理は美味しく(口は痛かったけど)、トータルでは無事に帰って来られたということになると思います。仕事の自己評価の方はまぁ、次回に期待という感じでしたが……。

南米から帰ると日本の夏は粗方終わっていて、真夏の最も暑い時期を南半球でやりすごした形となりました。ベレンはほぼ赤道直下なので季節関係なく暑かったけど。
仕事の方では、宇宙科学技術連合講演会という宇宙系の学会で発表をしました。この学会は初参加だったのですが、これがなかなか(いい意味で)無茶苦茶な学会で、近年の宇宙産業の急速な発展に呼応してその規模を拡大しつつも、未だに宇宙系の発表をオールジャンルで受け止め続けており、スーツ・ジーパン・学生・エンジニア・サイエンティストが一堂に介しているという異様な光景が広がっていました。
プライベートではYAPC 函館に行ったり、高校の同級生と伊豆に遊びに行ったりしていました。今でも一緒に遊べる~アホな~高校時代の友人がいるというのは嬉しいことだなぁと思いつつ、かれこれ10年以上経つけど何も変わってなさすぎて安心したり心配になったり複雑な気分です。自分も心配される側であるという自覚はあります。そんな友人達も多忙は多忙で、なんならうち一人は日本海側に住んでてこっちに出てくるのも容易でないという事情もあり、なかなか予定の共通部分が取れずにいたのですが、10月の三連休は皆偶然予定が空いており、かくして伊豆旅行の運びと相成りました。

南米2。この回ではパラグアイにのみ行きました。夏の回では不意のデバフを食らいすぎてあまりバリュー出せなかったし、個人的に今度こそはという気持ちで挑みました。フィールドワークが多かった前回と違って、普通に議論やコミュニケーションの多い仕事ではありましたが、パイナップルによる事故はなく2回目故の余裕があったので多少のバリューは出せたような気がします。自分の詳しくないドメイン(異国の農業)に関して慣れない言語で質問して理解するプロセスはシンプルに脳が疲れる。それでも相手方の職員の方達がスペイン語と英語を通訳してくれるのでなんとかなっています。これなかったらどうなってたんだマジで……。
せっかく行くんだから空気をたくさん吸っとくのが大事というか、この国のことはググってもなんもわからんので現地にいるうちにちゃんと見て回っておきたいよねということで近くの山(丘?)へ。標高は350mくらいで日本の基準では低山ですが、頂上付近が急に切り立っていて岩場になっており、低いながらも楽しい登山でした。


金・時間・体力・気力のうち一番足らないのは時間ですがそれはどうにもならないので、時間→体力→気力という連鎖でジリー・プアー(徐々に不利)になるのを避けるべく2025年は体力を付けていきたいですね。そういえば2024年の目標はもはや覚えていません。
2025年の KOBA789 にもご期待ください。
これは VTuber・Vクリエイター Advent Calendar 2024 - Adventar の19日目の記事です。大遅刻。
Channel 78.9 という YouTube チャンネルでたまーに長時間の配信をやっている。内容はプログラミングとかコンピュータサイエンスとか、そういう感じだ。 www.youtube.com
配信頻度のごく低い私が、何を楽しみにして活動をやっているのか、ということについて書こうと思う。普段、自分のモチベーションや活動の裏側については動画や配信内ではあまり言及しないように、いわゆる舞台裏を明かさないようにしている。そうしている理由もこの記事の内容とちょっと関係があるのだけれど、いい機会だと思って筆を執ってみる。
「なぜベストを尽くしたのか」とは、ニコニコ動画で(やや)ポピュラーなタグの一つである。その意味について、ニコニコ大百科を引用すると以下の通り。
世の中には暇つぶし・気分転換など普通はベストを尽くさないもの、ベストを尽くす必然性が無いものが多数存在する。
しかし、そんなどうでもいいことに真摯な姿勢を貫く人がいる。
一説によれば人間は情熱の生物で、どうしようもないことにもベストを尽くさずにはいられないらしく、ニコニコ動画でもたまにそういうベストを尽くしてしまった人に遭遇する時がある。そんな時視聴者は様々な感情を持って本タグを付けるのである。
なぜベストを尽くしたのかとは (ナゼベストヲツクシタノカとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
つまり、愛すべき無駄な頑張りを労うため、あるいはそれを称えるために使われるタグである。
ところで、私はニコニコ動画とその文化が好きだ。15年前と比べるとだいぶ様々な印象を持たれるようになったニコニコ動画だが、今でも最もよく見ている動画サイトに違いない。私自身は YouTube で活動しているにもかかわらず、だ。
今でもほぼ毎日見ているニコニコ動画だが、やはり最も熱心に見ていたのは中学生の頃だったように思う。来る日も来る日もランキングとお気に入りのタグを追い、新着動画をチェックしていた。
当然、ボカロ曲なども追いかけていた*1のだが、一番追いかけていたのはニコニコ技術部のタグだった。ニコニコ技術部タグは、高い技術を応用したいわゆる「やってみた」動画に付けられるタグだ。今思えば、あれらの投稿者は当時の高専生だったり大学生だったり、あるいはプロの技術者だったりしたのだろう。
ニコニコ技術部の動画の魅力は、その技術力の高さだけではなかった。技術だけでなく、ユーモアに溢れた動画がたくさんあった。むしろ、ユーモアのために技術を惜しみなく使う姿勢があった。自分自身が多少技術に理解があるからこそ、その動画で行われていることがどれほど高度なことなのかがわかった。バカげたことにあまりに高度な技術が投入されていること自体がおもしろかった。ケーキをチェーンソーで切るのはエンジニアリングとしては不適切だが、ユーモアとしては適切である*2。
技術がユーモアを生めるという事実は衝撃的で、それらの動画に私は夢中になっていた。
仕事においては、全力を尽くすことが常に合理的だとは限らない、というのはまぁ多少反論はあるだろうけれど比較的受け入れられる意見だと思う。飽きても疲れてもある程度続けなければならない仕事では、その瞬間のパフォーマンスと未来のパフォーマンスでバランスを取らねばならないから、全力を出すことは長いスパンでの最適にならないことがある。短距離走とマラソンは違う、というやつだ。
しかし、後先考えずベストを尽くして、自分がどこまでできるのか知りたいと思うことがある。あるいはどこまでできるのかを示したいということがある。私がこの活動をしている理由のひとつは、それらの欲求を満たすためだ。
この活動をしているのは完全に趣味のためだ。つまり、あらゆる経済的合理性を無視していいってことだ。経済的合理性を無視しているから、収支は機材や資料の購入でずっと赤字だ。土日を潰して準備をしているけれど自分の時間単価を考えたら大赤字だ。
それでも、というか、それだからおもしろいのだと思っている。経済的合理性のあるコンテンツでは、経済的不合理のおもしろさは出せない。赤掘ってる人間からしか出せないユーモアがある。少なくとも私はそう信じている。
たまに、準備にコストかけててすごいですねと言われることがある。嬉しい言葉だ。でも、私の場合はほとんどコストをかけることそれ自体が目的なのでそれは当たり前なのだ。いいコンテンツを届けるために努力をしているのとはちょっと違う。無駄なコストを投下してみたいからこの活動をしているのだ。
配信頻度が低いのは、一発が高コストだからなのではなく、単にネタ切れだからだ。以上の話から理解いただけたと思うが、ネタがあるのならもっとコストを投下したい、配信をしたいと思っている。しかしネタが切れているのでそうもいかないという状況だ。
こればかりは私のセンスの問題でもあるので一朝一夕で改善することではないが、引き続き気長に待っていただければと思う。