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「なぜベストを尽くしたのか」への憧れ

これは VTuber・Vクリエイター Advent Calendar 2024 - Adventar の19日目の記事です。大遅刻。

Channel 78.9 という YouTube チャンネルでたまーに長時間の配信をやっている。内容はプログラミングとかコンピュータサイエンスとか、そういう感じだ。 www.youtube.com

配信頻度のごく低い私が、何を楽しみにして活動をやっているのか、ということについて書こうと思う。普段、自分のモチベーションや活動の裏側については動画や配信内ではあまり言及しないように、いわゆる舞台裏を明かさないようにしている。そうしている理由もこの記事の内容とちょっと関係があるのだけれど、いい機会だと思って筆を執ってみる。

「なぜベストを尽くしたのか」

「なぜベストを尽くしたのか」とは、ニコニコ動画で(やや)ポピュラーなタグの一つである。その意味について、ニコニコ大百科を引用すると以下の通り。

世の中には暇つぶし・気分転換など普通はベストを尽くさないもの、ベストを尽くす必然性が無いものが多数存在する。

しかし、そんなどうでもいいことに真摯な姿勢を貫く人がいる。

一説によれば人間は情熱の生物で、どうしようもないことにもベストを尽くさずにはいられないらしく、ニコニコ動画でもたまにそういうベストを尽くしてしまった人に遭遇する時がある。そんな時視聴者は様々な感情を持って本タグを付けるのである。

なぜベストを尽くしたのかとは (ナゼベストヲツクシタノカとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

つまり、愛すべき無駄な頑張りを労うため、あるいはそれを称えるために使われるタグである。

私とニコニコ技術部

ところで、私はニコニコ動画とその文化が好きだ。15年前と比べるとだいぶ様々な印象を持たれるようになったニコニコ動画だが、今でも最もよく見ている動画サイトに違いない。私自身は YouTube で活動しているにもかかわらず、だ。

今でもほぼ毎日見ているニコニコ動画だが、やはり最も熱心に見ていたのは中学生の頃だったように思う。来る日も来る日もランキングとお気に入りのタグを追い、新着動画をチェックしていた。

当然、ボカロ曲なども追いかけていた*1のだが、一番追いかけていたのはニコニコ技術部のタグだった。ニコニコ技術部タグは、高い技術を応用したいわゆる「やってみた」動画に付けられるタグだ。今思えば、あれらの投稿者は当時の高専生だったり大学生だったり、あるいはプロの技術者だったりしたのだろう。

ニコニコ技術部の動画の魅力は、その技術力の高さだけではなかった。技術だけでなく、ユーモアに溢れた動画がたくさんあった。むしろ、ユーモアのために技術を惜しみなく使う姿勢があった。自分自身が多少技術に理解があるからこそ、その動画で行われていることがどれほど高度なことなのかがわかった。バカげたことにあまりに高度な技術が投入されていること自体がおもしろかった。ケーキをチェーンソーで切るのはエンジニアリングとしては不適切だが、ユーモアとしては適切である*2

技術がユーモアを生めるという事実は衝撃的で、それらの動画に私は夢中になっていた。

趣味だからこそベストを尽くす

仕事においては、全力を尽くすことが常に合理的だとは限らない、というのはまぁ多少反論はあるだろうけれど比較的受け入れられる意見だと思う。飽きても疲れてもある程度続けなければならない仕事では、その瞬間のパフォーマンスと未来のパフォーマンスでバランスを取らねばならないから、全力を出すことは長いスパンでの最適にならないことがある。短距離走とマラソンは違う、というやつだ。

しかし、後先考えずベストを尽くして、自分がどこまでできるのか知りたいと思うことがある。あるいはどこまでできるのかを示したいということがある。私がこの活動をしている理由のひとつは、それらの欲求を満たすためだ。

この活動をしているのは完全に趣味のためだ。つまり、あらゆる経済的合理性を無視していいってことだ。経済的合理性を無視しているから、収支は機材や資料の購入でずっと赤字だ。土日を潰して準備をしているけれど自分の時間単価を考えたら大赤字だ。

それでも、というか、それだからおもしろいのだと思っている。経済的合理性のあるコンテンツでは、経済的不合理のおもしろさは出せない。赤掘ってる人間からしか出せないユーモアがある。少なくとも私はそう信じている。

たまに、準備にコストかけててすごいですねと言われることがある。嬉しい言葉だ。でも、私の場合はほとんどコストをかけることそれ自体が目的なのでそれは当たり前なのだ。いいコンテンツを届けるために努力をしているのとはちょっと違う。無駄なコストを投下してみたいからこの活動をしているのだ。

2025年に向けて

配信頻度が低いのは、一発が高コストだからなのではなく、単にネタ切れだからだ。以上の話から理解いただけたと思うが、ネタがあるのならもっとコストを投下したい、配信をしたいと思っている。しかしネタが切れているのでそうもいかないという状況だ。

こればかりは私のセンスの問題でもあるので一朝一夕で改善することではないが、引き続き気長に待っていただければと思う。

*1:当時、ボカロ曲は合法的に無料で聞ける数少ない音楽のひとつであり、お金と音楽に飢えた中学生にはありがたい存在だった

*2:トリビアの泉で、無駄に金のかかった検証をしているのがおもしろいのと同じ理屈だと思う